私が大学の時、先輩に聞いた忘れられない話をしたいと思います。その先輩は、私がとても尊敬している方で、本でも音楽でも何でも知っており、いつもすごいなあとあこがれている人でした。私でさえもあこがれるのだから、よっぽどすごい人だって分かるでしょ(笑)。
その人は設計やデザインも手がけていて、喫茶店の設計なども手がけていました。その先輩は大学に入ってからデッサンをならいはじめました。話してくれたのはデッサンをはじめたきっかけです。「笹君、デッサンはとても大事なんだよ」と言って教えてくれたのは、次のような話でした。
「だいぶ昔のことになるけど、アメリカのある学者が実験をしたんだ。この学者はある絵を何人かの人に見せて、すぐに隠し、その絵に何が描かれていたか思い出して書いてもらったんだ。
その絵は電車の中の様子を描いた絵だった。絵の中央で、背の高い黒人とその黒人より少し背の低い白人がいて、白人は手にカミソリを持っている。さて、絵を隠したあと、絵を見せられた人は、2人についてどのように報告したか。実は半数以上の人が、黒人がカミソリを持っていた、と答えたんだ。終戦後で、黒人に対する差別や偏見があたりまえのようにあった時代だ。でも、心次第で、目は簡単に自分を裏切る。正しく物を見るためには、ありのままをきちんと見る力が必要だと思った。それでデッサンをはじめたんだ。」
この実験をしたのはオルポートという人です。人の偏見についてたくさんの研究をした人です。人は自分が見たもの、聞いたことを絶対に正しいと思い込む。でも、決してそんなことはなく、実は簡単に間違えてしまうことがある。私はそのことをとても怖いと思いました。そして、自分の目や耳さえ、簡単に信じてはいけないと強く思いました。人を疑うことはだれにでもできますが、自分を疑うということはなかなかできることではありません。でも、このお話は「自分を疑う」ことの重要性を教えてくれると思いませんか?
参考文献:厳島行雄他 『目撃証言の心理学』2003
北大路書房、G.W.オルポート、L.ポルトマン、南博訳『デマの心理学』1952
岩波書店
第14の扉 「あなたは目撃者になれる? 自分を裏切る記憶」